よくある会社のよくある話

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識者と経験者

 経営者が有するべき知識は、どのようにして仕入れられるべきか。外来識者を経営者に立てるケースを目の当たりにするとき、その疑問はついてまわる。下積みサラリーマンの行き着く先が執行役員、取締役、そして…と考えると、その者たちこそが正しく知識を得ていれば、外来識者に頼ることもないだろう。そして何より、自社のことを誰より良く知っているのは会社を下支えしてきた彼らに他ならず、彼らには外来識者の有していない経験というアドバンテージがある。

 知識と経験の融合が自社にフィットする施策を生み出すとすれば、これを実現するには識者が経験を得るか、経験者が知識を得る必要がある。経験は実地に携わる者が得、知識は学ぶ者が得る。そしてこれらは二者択一ではなく、経験者が学ぶことは可能だが、識者が経験を得るには実地に赴くしかない。歳を重ねて後、実現が容易いのは前者と言え、知識と経験の融合を実現する効率的な手段は「経験者が知識を得る」ことにある。

 会社を経営するのであれば、識者と経験者が協力する、具体的には取締役に識者と経験者を混交させるという構図も考えられるが、常に理想的に機能するとは考えにくい。経験者は識者の形式知に畏怖し、或いは机上の空論と批判する。識者は経験者の暗黙知に畏怖し、或いは悪しき慣習と批判する。どちらも起こりうる事態だが、旧態依然の社風である会社においては前者の方が発生率は高いだろう。なぜなら、経験者は誰かの指示を受け、それを実現することに努めてきた者が多いのであって、新たな施策を講じるための経験の豊富さを語るものではない。加えて専ら経営施策を講じるには、施策の裏付けを担保する経営知識が必要になるのであって、それを持ち合わせていない者は暴走して会社を傾かせるか、識者に従うしかないのだ。私が冒頭で投げかけている疑問はまさにこのことであって、経験者がかけがえのない「経験」を宝の持ち腐れにしないために、将来の正しい経営者になるための「学び」のキャリアプランをどのように描くか。それは個人の裁量なのか、会社が提供するのか。前者であれば会社による十分な啓蒙が必要であるし、後者であればやはり会社が相応の場を設ける必要がある。少なくとも、数日間の研修などで誰もが理想的な経営者になれるとは思われず、絶え間ない情報収集による知識の蓄積が不可欠だろう。性悪説の見地を取れば、事なかれ主義者であっても年次を経て経営者になり得るとも考えられ、これを未然に防ぐためには主要な社員にMBAの取得を促すなど、差別化を図る必要があるだろう。

 経験者の識者としての見識を養うに至れば、外来識者に依存する必要もないのであって、逆に言えば知識のない経験者が経営を語るとすれば、会社の未来は見えない。外来識者に頼るのは、経験も知識も兼備した「経験識者」の不在を補う窮余の策と言える。